今、治療院業界では”治す”ことより”通院してもらう”ことが主流になりつつあります。
治療目的で来院する患者さんよりも、慰安や美容・痩身・健康維持のお客さんを重視するところが増えてしまいました。
同じ整骨院の名前がついていても、やってることも目的も全く違ってしまっているんですね。
ですが、ケガや故障に悩むスポーツ選手が整骨院に望むもの、それは「とにかく早く治して!」だと思うし「通院なんて面倒でイヤ」というのが本音だと思うのです。
私がスポーツ選手時代にケガをしたとき、そうでしたから。
早く練習に戻りたい!
試合に出たい!
思いっきりプレーしたい!
私はこのように強く思うスポーツ選手の身体と気持ちに応えたい。
そして一刻も早く身体を治して競技復帰してもらい、全力で夢を追ってほしいと思っています。
ーはりま接骨院 院長 濱田 健太郎ー
昭和46年3月27日生まれ
兵庫県加古郡播磨町出身
平成12年 国家資格・柔道整復師免許取得
平成16年 現在の神戸市にて開院
スポーツのケガ・故障を治す身体のプロとして、多くのスポーツ強豪校選手をケガから復帰させてきた実績を持つ。
施術スタイルは
「気持ち良いだけの効果のない施術はしない」
私がこの道を選んだ理由は選手時代の怪我がキッカケでした
私は大学生からこの道に入るまで、極真空手の選手をしていました。
極真空手の試合は、素手素足防具なしでお互いが叩き合う、直接打撃制のルールなので、よくケガをします。
といってもほとんどが打撲や手足の関節の捻挫くらいで、放っておいたら治るくらいの軽いものでしたし、当時は「ケガは稽古で治すべし」みたいな風潮だったので、殆どの選手はよっぽどでないと治療にかかるなんてことはしません。
しかし、空手を続けながら社会人になったある日、深夜に自動車の後部座席に座って片道8時間の旅をしたときのことです。
このとき寝方が悪かったのか、痛くて首を全く動かせなくなってしまったのです。
もう唸るほど痛い。
車の振動でも痛い。
首周りは熱を持ってるし、とにかくもう「首を取り払って換えパーツにできるなら全財産払う」くらい。
帰宅するまで脂汗をかいてウンウン唸りながら、後部座席でどうにかラクにならないかと、頭をあっちに動かしこっちに動かししていました。
それ以来、普段はなんともないのだけれど、疲労が溜まったり体調不良になったりすると、必ず首が痛くなる症状を抱えながら、極真空手の選手を続けることになってしまいました。
思い通りに身体が動かせないのは辛いですね。
大会前の追い込みなんかは疲労が溜まるのですぐ首にきてました。
なんとかならないかと、あちこち治療にいきましたよ・・・
整骨院、整体、鍼灸、カイロプラクティックetc
整形外科にも行きましたが、もちろん「異常なし」。
そうこうしながらも年齢のこともあり、仕事のこともありで、選手生活も区切りつけないといけないなぁ・・・と思いつつ、たまたま帰った実家で首の話をすると、父が「治したるからそこに座れ」と。
グキッ!バキッ!ボキッ!・・・と、そんな大げさではありませんが、首から背中の骨のズレを整復手技一発で治してくれました。
そう、なんと実は父も柔道整復師だったんです!
恥ずかしい話ですが、大学を卒業してから進路のことで父と揉めていた私、実家に帰ったのはこのとき4年ぶりでした。
小さい頃から父が私を跡継ぎにさせようとしているのがイヤで、その延長で大学を卒業しても実家に帰らず会社の独身寮で暮らしていたのです。
父親への反発というのもありますが、そのころは柔道整復師という仕事の魅力が分かっていなかったんですね。
父が患者さんから感謝されているところを見聞きしていましたが、いざ自分がその立場にならないと、身内の凄さなんて分かろうはずもなく。
どこに行っても良くならなかった首が、父の整復手技一発でグリングリン動かせるわ、動かしても痛くないわ、正直ビックリすると同時に感動しました。
それと後悔と。
「もっと早く来ればよかった!」って。
この言葉、今では私が患者さんに言ってもらえるんですが、本当にそう思いました。
このとき、真剣に自分の生涯に亘って打ち込んでいけるものを見つけた!と感じて、しばらく経ってから「柔道整復師になりたいので弟子にしてください!」と父にお願いしたのでした。
父より母のほうが泣いて喜んでいたのをよく覚えています。
早く治せる柔道整復師として
勤めていた会社を辞め、選手を引退して、父の整骨院に見習いとして働きながら柔道整復師専門学校に3年間通いました。
勉強は暗記ばっかりで覚えるのが大変でしたが、卒業と同時に国家試験に合格し免許取得、晴れて柔道整復師になりました!
めでたい!
と言いたいところだったんですが、このころから、整骨院は大乱立時代に突入します。
規制緩和やその他事情により、柔道整復師が年ごとに倍々と増えていくようになったのです。
父が開業した頃にくらべ、整骨院の業態は大きく変貌してしまいました。
それまで街で数件しかなかった整骨院でしたから、患者さんは黙っていても次々やって来る。
「早く治さんと捌ききれんのや」と言っていた父も、晩年はずいぶんゆっくりペースで施術していました。
でも一本気な人だったので、「早く治す」ことが患者さんの一番の利益だ!と信念を持って治療に当たっていましたね。
今、整骨院は「治す」ことより「通ってもらう」ことに重きを置いたところが増えました。
経営的にはそちらのほうが有利なのだそうです。
当院にも、そういう経営コンサルタントからFAXやダイレクトメールが届きます。
でも、私は父がやっていたように、「早く治す」ことを第一にした整骨院をやりたい。
そういう私に、父は自分の技術を教えてくれました。
そのうえ、「もっと色んなやり方があるから勉強して来い」と、他の治療法や理論を学ぶよう勧めてくれました。
免許を取ってから父の整骨院に1年間
重症例の臨床経験を積むために整形外科クリニックに1年間
関節手術の予後やリハビリを学ぶために総合病院リハビリ科に2年間
その4年間にいろんな手技療法を見て回り、勉強し、ある程度の実力をつけてから、平成16年1月に今の神戸市西区に開業しました。
スポーツ選手の最後の砦として、最速で競技復帰できる施術をしています!
「最短で治す」ことに拘って施術してきたこの十年、スポーツ強豪校の選手が顧問の先生から「あそこで治してもらってこい!」と勧められて来院してくれるようになりました。
少年サッカーのママさん方のネットワークや、チームメイト、先輩、OBOGから当院のことを聞いたり、
小中学生のときに治療を受けた子供達が、県外の高校や大学の進学先で紹介してくれたりで、わざわざ遠いところから来てくれる選手も増えました。
ほとんどの選手は話を聞くと、ずいぶん前から傷めてたのにも関わらず、治療を受けていなかったり、他の治療院にずっと通っていたりしています。
大会前の追い込みで悪化して、「2週間後に試合があるのでなんとかしてくれませんか?」とか、酷いときは「週末に大会が・・・」とか言ってやって来る選手も多いですね。
暗い顔しているし、問診していても言葉少なめです。
それは当院の施術がけっこう痛いというのを聞いて「イヤだな、どんなけ痛いのかな」というのもあるでしょうし、本当に治るのかな?って半信半疑なところが正直なところだと思います。
私だって間違いなくそう思いますから。
そんな選手たちも、施術するごとに痛みが退いて動けるようになると、「ここなら治る!」という希望が湧いて表情も明るくなり、ここがああしたら痛い、こうしたらハリがある、とどんどん注文をつけてくれます。
施術後に改善している身体を不思議そうに、けれど嬉しそうな表情で帰っていくのを見送るとき、あぁ、この仕事を選んで良かったな、治療一本でやってきて良かったな、と心から思います。
大会に出場できました!
セレクションに合格しました!
自己ベスト出せました!
大会結果を報告してくれたり、親御さんからお礼を言われたり。
でも、皆が皆、治せたわけではありません。
大会までに間に合わなかった、まだ治療途中なのに来なくなった、全く改善できなかった・・・
自分の力不足を痛感し、施術に何が足りなかったのか、どうすればよかったのか、暫く落ち込む事もあります。
なにより、希望を持って来院してくれたのに、期待に応えられなかった申し訳なさで一杯になります。
そんなときは、「次に同じ症状の選手が来たら、絶対に治せるようになる!」と決意を新たに技術研鑽に励むのみです。
スポーツも同じですね。
始めはできないことも、なぜできないか考え、繰り返し練習することでレベルアップしていく。
私は大した選手ではありませんでしたが、自分ではそこそこの実績を残せたと思っています。
なにせ子供のころは走ればビリ、逆上がりできない、三振・トンネルエラー当たり前の、超がつく運動音痴でしたから。
そんな私が空手選手を納得いくまで続けられたのは、才能があったからでも体格が恵まれていたからでもなく、ただ地道に稽古・練習を重ねるという、成長することの最も基本的なことを、身近な先輩方が身をもって示してくれたからです。
まさに継続は力なりですね!
何事も続けられなければ上達しないし、望むものも手に入りません。
だからもし、ケガや故障で困っている選手がいれば、私にいちど診させてほしいと思うのです。
道半ばで諦めなければならないなんて、そんな悔しいことはありませんからね!
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